PSYCHO-PASS面白かったけどつらい

 たとえエンターテインメントのために常守さんが色んな出来事に巻き込まれるのだとしても、この世界がリアルに感じられるためにつらくなる。

 宿命は意図せず作られると思っている。自分の性格、身を置いてきた環境、偶発的に起こる出来事。小さな決断が大きな変化に繋がるかなんて分からないのだ。受け入れられることと悲しくならないことは比例しない。自分でも抗えないような、深い感情は常に強化されているから、たとえ値が更新されていることに慣れたとしても、何かのトリガーで引き起こされたとき、既に抗えないと気付くことしかできない可能性がある。たとえ色んな仕事に適性があっても、どの仕事にも適性がなくても、誰かを喪う悲しみは等しくその人を襲い、否応なしに運命を変えていく。意志を持つことはひどく尊く脆い。作中で起こる事件で誰かが、もしくは主要なキャラクターが亡くなること、悲しいのにそれでも明日も息をしていること、誰も誰かを止められないこと。それでも楽をしたいと感じる。悲観する必要はないのかもしれない、自分たちが望んだことなのだから。でも、何かを得るためには何かを犠牲にするかもしれないということ、どんな犠牲が出るのか分からないこと、その暗闇の中で決断していく姿が、ひどくまぶしくて、しかし息を詰めて見守ることしかできない。

2023年の振り返り

自習時間

学習時間670h
55.7h/month
14h/week
2h/day

 

所感

2022年と比べて130時間減った。ただ、残業時間は増えている。今年は、興味のある技術に絞って時間を使った。また、ただチュートリアルをやったり本を読んだりだけでなく、実際にプログラムを書きながら理解を深めることに注意し、時間を増やすことができた。
実際にものを作ると、時間があっという間に経つのが分かった。ごりごりCSを勉強していた時は、内容が難しいこともあって、モチベーションを維持することが難しかった。
今年は、Rustをたくさん書いた。また、Webのシンプルなアプリケーションを作っている。また、モバイルアプリを作ってみた。
得意な技術を作っておくことが大事だね。自分の場合、Webになるだろう。業務で最初に使い始めたJavaをもっと深めて、右腕にしておきたい。興味のある範囲が広いけど、何とか絞って、一番やりたいことを。それはRustであったり、Flutterであったりする。Webアプリを一通り作れるようになりたい。まずは、色々作ってみた経験がほしい。
大学の授業も、オペレーティングシステムだったり、コンピュータアーキテクチャだったり、ネットワークを勉強することができた。単位取得できるようにポイントになっている箇所を勉強することで、効率的に時間を使えたと思う。

 

2024年に向けて

・LeetCodeでアルゴリズムとCSを深める。
・シンプルなアプリケーションをWeb開発でコツコツ作って、技能を深める。
・Flutterで作っているアプリをリリースする。
・実践を意識し続ける。プログラムをたくさん書いて、たくさん読む。
・本で知識を得ることも続ける。

 

まとめ

2023年は、勉強時間が2022年に比べて少なくなった。しかし自習では、より実践的な、動くものを作る経験を得られ、業務でもたくさんプログラミングができた。コミュニケーションにおける課題も見つかり、実り多い一年になったと思う。技術の強化、および対人スキルの向上に向けて、2024年もより一層精進していく。

明るい気持ちでいることの難しさ

 最近気づいたのだが、自分をいじめることに慣れすぎている。

 仕事が終わった後も仕事の人間関係について考えたり、過去に間違えたことをどうすれば間違えなかったかを考えたりしている。かと思えば記憶の中でIFなワールドを作って進行していたり、未来に起こり得ることについての対処法を考えたりしている。

 そうじゃない、初めはただ機嫌を良く保つことがしたかった。自分がやりたいこと、なりたい姿、もしくはただ、今、起きていないことは考えず、起きていることを楽しむ、好きなことを楽しむ、そんなことに集中したかったのだ。

 なのに、気付いたらまた過去のことを考えている。自分の頭の中の世界に旅立っている。自分の想像に対して怒ったり悲しんだりしている。

 それは慣れなのだと思う。私はただ感情を知ることができるだけだ。どう反応するか?一旦終わったのなら、自分を休ませてあげて、楽しませてあげて、癒してあげたいと思う。そういった切替をすることに慣れていない。でも、そうしたい。自分を大切にしたい。頑張る時は頑張って、休むときは休みたい。今に集中して頑張りたいこともあれば、今を使って目いっぱい自分を甘やかしたいこともある。

 暗いことを考えることがあまりにも簡単でもある気はする。そもそも週に5日も仕事しなければ行けなくて、その分真面目なことを考えるのに慣れてしまう。加えて人間は元々悪いことの方に目が行きやすい。というか、生物ならそりゃ悪いことを避ける優先度の方が高いから。

 だから、自分を大切にする方向に慣れていきたい。疲れているのなら好きなことや癒されることをして、努力したいのならやりたいことやなりたい姿に向かって、今という時間を使っていきたい。

我々はもっと考える必要がある

 印刷が可能になった時、年々増える書籍数について、ショーペンハウアーは考える時間を奪われると批判した。
 ゲーム、インターネット、SNS。現代を見たら彼は何と言うのだろう?


 世界にとってよいものとわるいものに違いはない。花は咲き、散り、また咲く。きれいときたないは我々の感じ方である。だから、大事にしなければいけない。でも、どちらかを奪われたら、我々は両方を奪われてしまうだろう。我々は自分自身からさえ取り上げることもできるのだ。私が欲しいのは、私が幸いを感じるであろうものを見つける力と、それが内包する様々な可能性を受容する力だ。私は考えたいのだ。

 真に何かを感じている自分、そんな自分に気付いてあげられるのは、私しかいない。どれだけ誰かの意見を見ても、誰かに話を聞いても、そこに真実はない。歯がゆく、生じてゆく自分を抱きしめようと手を伸ばすが、いつだって言葉という網をすり抜け、風吹かば運ばれてゆく私は、私のそばに留まろうとあがき続けている。私はいつだって私だったのに、いつから離れてしまったのか?誰かの喜怒哀楽を迎えた時か?多数の目に顔を向けた時か?知らず知らずに、歩みは遠のき、私はよりちっぽけな自分となり、同じようにさまよう人々の間で泣きながら笑っている。

いかようにも生きられるけど

 生きていることの意味について考えることが多い。

 今まで好きだった本や影響を受けた考え方を整理して、今の所でまとまったものをぜひ書かせていただきたい。

 

 人間は偶然生まれた存在だ

 宇宙はただその時の状態に基づいて変化しているだけだと思う。私が真空であっても、高温であっても、素粒子であっても、隕石でも、分子でも、草でも、人間でも、全てのものはただ何かしらが起きてそれによって何かしらが起きて、その流れの中の一部分だけだと思う。言葉にできないほどの宇宙があり、言葉にできないほどの状態が存在していると思う。なので、人間が生まれたことは必然でなく、必然であるように見えるとしたらそれは、言葉にできないほどの別世界があることを経験できないからだと思う。

 

 人間も安定したい

 ビッグバンも、地球ができたのも、多分子生物が生まれたのも、みんなその時々で安定したくて変化していった。人間にとっての安定は、本能と理性のバランスを取って生きていくことだと思う。苦しい気持ちや嬉しい気持ちといった生理反応は自然に起こるけど、ずっとその状態でいることが苦痛となっていくように、人は本来的には安定した、色んな気持ちに揺さぶられながら一定の規則性の中で生きていきたいのだと思う。

 

 人間にとっての幸福

 意識的に何かをするという行為(思考したり、絵や音楽を作ったり、おしゃべりしたり、楽器を弾いたり、スポーツをしたり)、満足感(苦しくても何かをやり遂げて得られる達成感)、目的(自分が何者か、生きている意味に応えていく)、人との安定したつながり。人間は絶えず変化を求めているのだと思う。変化していく状態を安定して持ちたいのだと思う。

 

 人間らしい安定と幸福を求めて

 人の本然に還ることで真の安定と幸福を得ると思う。例えば、行動に落とし込んだ思想が真実に近いと思う。

 ・愛するということ、夜と霧、論語、生き方(稲森和夫)、素直な心になるために(松下幸之助)、論語と算盤等々。。。

 利他、誠実、素直、信頼、忍耐、内省、勇気、情熱、等々。。。

 

 (個人の気持ち)
 ・偶然生まれた人間が、世界をリバースエンジニアリングしているという現実はかなりすごい。かなりすごい。
 ・引き続き人間の夢を見ていきたい。
 ・みんなで生き生きと生きていきたい。
 ・誰もがまだ見ぬ世界を作っていける
 ・その人が作る世界が見たい
 ・宇宙とか、世界を人間の目から見たものでいいから、発見して、理解していきたい。

 

こんな人がブログを書いています。

 ソフトウェアが大好きなINTP(5w4, 548)
 つよつよエンジニア、つよつよ問題解決人になりたい。
 Engineeringに熱意を燃やしながら、ManagementとProductにも興味があります。

 より良いものが作りたいです。
 色んな人と助けあって、より良い社会にしていきたいです。

 どうぞ、よろしくお願いします。
 

何を捨てるべきか

 最近、2つの気持ちが自分の中でせめぎ合っている。

 技術の成り立ちを理解したいという気持ちと、役に立つものが作りたいという気持ち。

 どちらも大事だ。どちらも1つの役割。でも、どちらもやる労力は、あまりにも大きいと思う。

 分かっているのは、理解した喜びをメインに自分は生きていけないということだ。誰かが喜んでくれる方が、嬉しいと思うような気がする。

 よってもはや自明だと思うけど、振り切れない。

 やはり知りたいと思う。また、焦りもあるだろう。

 余裕が欲しい。自分に優しく、目の前の人に優しくできる余裕が欲しい。

 この欲求はいつも、一瞬にして極限まで連れていく。戻ってきた時には、ただその遠さに息を吞むばかりだ。だから足がすくむけど、あきらめてはいけないと、心を決める必要がある。そうしなければ、立ち止まってしまう。そして、辿り着かないことにいら立ちを覚えてしまうのだ。

 今はこの気持ちのまま、やれる所までやりたい。きっと自分が納得するラインがあると感じる。

 また、素直な心を持ち続けるようにしていたい。